発達障害者は生まれてきて幸せなのか2つの視点と私なりの答えとは


こんにちは!高垣です。
この記事を読んで頂きありがとうございます。

今日は

「発達障害者は生まれてきて幸せなのか2つの視点と私なりの答えとは」

について私なりの見解を述べてみたいと思います。

発達障害は何が困る?

発達障害はいつも「関係性がうまく行かない」障害です。
どういう風に補えば「関係性がうまく行く」のか考えていきましょう。

このブログはアスペルガー症候群だった私が、
私の子供の頃感じていたことと母親の女性の視点から

今の子供たちについて双方の視点から気付いたことを、
書こうと思っています。

現在はいろんな技術が発達して本当に困ってしまうという事が
少なくなりつつあり当事者としてうらやましいと感じます。

発達障害の問題は「遺伝」の問題と関わっており
「家族」の関係性の問題があります。

親の「精神状態」の問題が存在しがちです。

発達障害者は生まれてきて幸せなのか他人に言われたくない

発達障害者が周囲から色々言われるときって
心がざわつきますよね。

発達障害者は他人からいろんなことを言われても
気にしなくともいい事です。

まず答えとして私個人は「発達障害」という個性を持って幸せだと思います。

発達障害者は、生まれてこない方がいいという意見もあります
生きていて欲しいはこちらのエゴだと考えざるおえなくなります…

この疑問は発達障害のことをかなり答えてたものです。
どうお考えですか?

発達障害は生まれてこない方がいい、という意見は正しくのか?
発達障害も生きて行く、というのはエゴだ。

という意見にどう考えるか、という質問ですね?

行政の問題だと考えるならば障害者施設は数多く、使われる予算も莫大でしょう。
という訳で発想の転換をする。

莫大な予算を使う障害者施設の未熟な支援者を発達障害者の
職業に出来ないか?

一般の人々は発達障害を改善し生きるのではなく、発達障害の
ような生き方をする。

ノーマライゼーションとは考え方です。

すべての人が人間として普通の生活ができるよう、ともに暮らせる様な考え方です。
全ての方がともに生きていくことを目指す社会がノーマル(正常)な社会であることです。

一般の人々は現代は多くの社会問題を生むのを良しとしてしまっています。

このノーマライゼーションの考え方を求めるべき時代、ではないかと私は思っています。

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発達障害者は生まれてきて幸か不幸かは本人が決める

発達障害や身体障害者が生まれてきて。それが幸せかどうかということは本来当事者が
考えて決めることです。

周囲の人間が客観的にどうだこうだ言っているどうだこうだと言うような
話ではないように私は思います。

なぜなら、その人生を生きるのは発達障害者自身だからです。

発達障害者の幸せを他人がどうだこうだといっても障害があるから自分が不幸だとか
障害があっても強くはねのけていけるかというのは当事者にしか解決できない問題だ。

私はそう思っています。

私自身が生まれてきて幸せかといえば私には自閉傾向がありますが不幸だと
思ったことはありません。

私は異性と仲良く付き合った事はそんなにありませんがそれが強烈に不幸だとは
あまり感じたことがありません。

男性でも女性でも気の合わない人間とは付き合うこと自体がわずらわしい。

それが善し悪しではなく私の本音です。

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発達障害者は生まれてきて自由に思ったことを他人を傷付けない範囲なら本音が言える

こういうことを言うたら周囲がどう思うだろうとか周囲から白い目で見られるだろう
とかそういうことを考えること自体が非常にわずらわしい。

それを素直に表現していくこと。

これが私にとっての生きやすい生き方むしろ発達障害だから
許される生き方なのだと思います。

私が幸せなのか不幸せなのかという問題に関しては
非常に答えが出しづらいと思います。

普通の人はなぜなら一般の人は人付き合いがわずらわしいとは一般には
言いづらい傾向がまだまだあるだろうからです。

私が人付き合いがわずらわしいと平気で言えるのは自閉傾向があるという前提を
周りの人は受け入れてくれているからです。

それをかわいそうだととるか、彼はそういう傾向持っているからしょうがない。

しょうがないととるかそれは一般の人々では同じ事を言った時に
社会性に欠けると言われるのではないでしょうか。

そういう意味ではむしろ生きやすい環境が与えられていると思います。

発達障害の人が生まれてきて幸せなのか不幸せなんかそれは発達障害の当事者しか
わからないことです。

周囲の人はいろいろ言おうががちゃんとした答えは出すことができない。

これが私の答えですがけれど発達障害の人を社会に受け入れようとするそういう仕組みづくりと
答えが考え方というのは何種類かあるのかもしれません。

発達障害や精神障害と身体障害そういう福祉のために莫大な国の予算が与えられているからです。

でもそういう行政に携わる人は自分達は発達障害いや自閉症持っていないのだという謙虚さを
大事に持っていただきたいものです。

所詮自分たちには分からない。

しかし何とか考えて正解に近い答えを近づけていこうという考え方が
非常に大切になってくると思います。

私たちは専門家だと言った時点でその人達は一番発達障害や自閉症から遠い場所に
いる人たちになってしまうのではないか。

そう思います。

繰り返しておくならば発達障害や自閉傾向、身体障害そういうものを持って
生まれてきたから幸せかどうかそれは当人にしかわからない。

不幸せだから産まない方がいいかどうか考えるのは一般的な人勝ちだとされている
人々の単なる驕りでしかない。

幸せかどうかを決めるのは発達障害、自閉症、身体障害者自身でしかないということです。

最後に

発達障害者当事者ではなく第三者が当事者感覚のない人が語る時、
あまり的を得た議論が出来る人は少ないです。

生れてきた発達障害者は幸せだと感じているのは事実です。

一つの事実。
しかし軽くない事実です。

生まれつきの障害を胎児の初期で発見、母体へのダメージを最小に
留められるうちになかったことにする。

という医療の技術が確立された場合、発達障害は生まれてこない方がいい、
という意見を初めて持てるように思います。

発達障害者支援法はまだ十数年前に施行された法律です。

早期発見、早期療育が定められていますが未だ就職後に
発見される例も多いのではないでしょうか。

これは、胎児の初期の段階で発見する事は到底不可能で有る事を
示しているように思います。

発見が成人後になる事も多い障害、と言う現実を考慮し、成人発達障害者への支援を
充実させる事が現実的だと当事者の私は思います。

ここで問題になるのが、発達障害者への支援とは具体的に何か?という事です。

発達障害支援の先進国では

「生き易い環境を整える」

支援に統一されているようです。

これ、支援者に相当な熟練が必要なようで実施可能な
施設を見た事が私はありません。

行政の視点で見れば支援者に当事者がなることで
「就労先」を生み出せるのではないでしょうか。

それでは、いかがでしたか?
発達障害者は生まれてきて幸せなのか2つの視点と私なりの答えとは
についてのまとました。
にぜひご参考にしてみて下さい 。

個人の意見です。お医者様に確認を取ってお薬や運動に取り組んでみて下さい。

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