アスペルガーの食事へのこだわり兄弟や姉妹がいるような場合の対応法とは


こんにちは!高垣です。
この記事を読んで頂きありがとうございます。

子供が食事中にこぼす、汚したときって
気持ちをおさえきれないですよね。

そんな気持ちもこんな考え方でグッと
受け入れやすくなります。

今日は

「アスペルガーの食事へのこだわり兄弟や姉妹がいるような場合の対応法とは」

について私なりの意見を書いてみたいと思います。

夕食を取り分けと分食で同じメニューにします。
意図的に三人を同じメニューにするのです。

夕食だけは偏食の子供たちに合わせて
個別にはしません。

理由は私が疲れるし、そんなメニューは
カレーしかないからです。

メニューを作ることもなければ苦手な子共の
極端に避ける事をしません。

なぜかというとうちの子供たちの誰からも不満が
出ないようにする。

そんな生活をしてしていたら私が疲れ果てて
何もできなくなるです。

今までは子供のことを中心に話をしてきました。

しかし本当に子供のことを考えるなら家族が
中心になるのです。

私が子供のために疲れ果てることの子供に
とってのマイナス面は何でしょう?

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子供が生活の中心ではなく社会に子供たちが適応できる手助けをする

1、子供達の犠牲になるほど子供たちに尽くす必要はない

どういう意味でしょう。
子供達をなぜ大切にせずともいい。

私がなぜこう書くかというと実は、主人公は「家族」、「社会」だからです。
子供達ではなく彼らを含めた「集団」という意味です。

先ほどの夕食の例がその話の種明かしになっていきます。

夕食は、彼らの要望通りに作らないと書きました。
ただし、おかずは大皿に盛って自分で小皿に取り分けられる。

こういう風にして苦手なものを避けて通るのは大目に見ています。
また個別の味噌汁が苦手な具があればやや少なめ程度によそう。

その上で箸でよけていいことにしています。

こうすれば「連帯責任」で次男がエノキを
よけてあるのを長女が食べます。

また長男がよけたプチトマトを父親がカバーして食べ、
それぞれ補い合って夕食は食べ終われます。

たとえ食べ残されて残されて私はムッとしても、
責任の所在も分散されます。

みんなが気持ちよく食事できなければ食事は意味が
ありません。


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2、食事の時間は自分が一人きりではないことを確かめる時間です

無理やり食べさせずとも気長に見慣れさせることで
食事の幅を広げてあげられます。

見た目や匂いになじんでいれば、たまたま
食べたられることもあります。

苦手なものを持っいる目の前で食べる人がいても平気で
いられるようになってきました。

食卓に出るだけで

「どうしても無理!」

と泣きが入るものもあります。

長男は果物で次男は納豆があって、

「その場に同席できないほど苦痛」

という障害にあたるものなので禁煙ならぬ
分食にてできる範囲の配慮はします。

皆が納豆やフルーツを食べたている間本人は食卓から
離れた位置のソファーや別室に避難します。

「参加を強制されない自由」

があります。

家族一人にだけが納豆やフルーツ(果物)を
食べたい場合はその人が離れます。

納豆も好きの長女は次男に、

「○君、○子は納豆食べたいからここにいるね」

と声かけ声をかけてソファーの前にちょこんと
座って食べています。

家で自然と出来上がったルールは「配慮」というものは、
一方がひたすらに我慢し何でも請願するものではありません。

お互いが楽しく快適に過ごせるように少しずつ
譲り合って思いやる姿勢なのだと気付かされます。

私が子供たちのために、子供たちを優先にしないのは

家の夕食はできる範囲の配慮をするけれど、それ以外の人が楽しむ
自由も体大事にしています。

家で自然と出来上がったルールは「配慮」というものは、
一方がひたすらに我慢し何でも請願するものではありません。

お互いが楽しく快適に過ごせるように少しずつ
譲り合って思いやる姿勢なのだと気付かされます。

彼らはそう遠くない将来学校という集団に、
入っていくことになるでしょう。

タイトルにも使いましたが、食事の時間は自分が
一人きりではないことを確かめる時間です。

それでは、いかがでしたか?
アスペルガーの食事へのこだわり兄弟や姉妹がいるような場合の対応法とは
についてのまとました。
にぜひご参考にしてみて下さい 。

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