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発達障害者がとがめられすぎて弁解を用意してさらに誤解を招く悲劇とは?

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こんにちは!高垣です。
この記事を読んで頂きありがとうございます。

今日は

「発達障害者がとがめられすぎて弁解を用意してさらに誤解を招く悲劇とは?」

について私なりの見解を述べてみたいと思います。

発達障害は何が困る?

発達障害はいつも「関係性がうまく行かない」障害です。
どういう風に補えば「関係性がうまく行く」のか考えていきましょう。

このブログはアスペルガー症候群だった私が、
私の子供の頃感じていたことと母親の女性の視点から

今の子供たちについて双方の視点から気付いたことを、
書こうと思っています。

現在はいろんな技術が発達して本当に困ってしまうという事が
少なくなりつつあり当事者としてうらやましいと感じます。

発達障害の問題は「遺伝」の問題と関わっており
「家族」の関係性の問題があります。

親の「精神状態」の問題が存在しがちです。

発達障害者はとがめられすぎて弁解を第一に考えるようになる

発達障害者が、とがめられ続けるときって
自己防衛で弁解を先々まで考えがちです。

そんな発達障害者の自己防衛で弁解をするということを
発達障害者の視点で見れば理解できます。

質問者の方はこういう風に質問しました。

「発達障害の就労状態についての質問です。

私はアスペルガー症候群という発達障害を抱えております。
一応勉強は人並みにできたので現在国立大学ノート理系学科に

在籍しており、大学院への進学も決まりました大学院への
進学も決まりました。

あとは無事に卒業研究を終わらせるだけなのですが正直、大学院卒に
なったとしても、あまり将来に希望を持てる日軍ではありません。

国立大学で大学院まで出て障害者雇用や作業所では割に
合わないと思ってしまいます」

この質問者の方は確かに余裕がなくどうしても自分中心に物事を考えて
知ってしまいがちなところがある。

とは私も考えたのですが当人の立場になれば国立大学の大学院まで勉強が
続けられたという意味で本当に幸せなことだと思います。

けれども彼ももしかしたら辛いながらも幸せになれると信じてと信じて
勉強を続けてきたのかも知れません。

そしてやっと大学院の卒業一歩手前まで登って来られた。

もしそういう考え方の方ならば自分が充分報われていないと感じたとしても
心情的には私は同じ発達障害者としてわからないことはないそう思えてしまうのです。

彼はこの相談に答えるであろうまだ見ぬ回答者長々と一つ一つのことがら、
に弁解しながら自己防御の文章を書き連ねています。

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発達障害者はとがめられて自分は悪くないというのが心の奥にある

例えば自分が普通の職場には入れたとしても続けられないかもしれない。
だから初めから身体障害者として会社に入ったほうがいいのではないか?

大学時代に大学のリズムに慣れるまでものすごく苦しい思いをした事
自分を特殊な存在だと認めたくなかった。

そしてそれを今思えば無駄なプライドだったと言ってみたりする。

回答をくれるだろう人が言いそうなことを自分で予測したのかそういう経験が、
何回もあったのか一つ一つその通りくだらないプライドだったと釈明を繰り返すのです。

そしてアドバイスをもらう結びの時点で本音がポロリというもしっかりところで
国立大学の大学院まで出て障害者雇用や作業所ではでは割に合わないと思ってしまう。

と書いてしまうように本当に問題の本質はどこにあるのか理解してないだろうという結び。
質問者は文章はに弁明に終始していました。

私が感じたのはこんなに、いい訳がましくなったのも毎回、毎回何かうまくいかない時に
一気に全部ではないにしても当たり前に指摘されたこと。

それらが彼の頭の中にはすべて残ってしまったのではないか。

その度に自分を曲げて謝罪をしてきた自分が悪かったんだというふうに環境に言わされ
続けてきたのではないか?

私自身がそうだったこともあり非常に言い訳がましくはあるが彼の悲しみや苦しみや
そういう状態に対する恨みののようなものを感じさせる文章だな。

気持ちは分かるけれども、質問者は現実をちゃんと、
受け止めるべきだ。

と思いながら質問という形を借りた釈明文を私は読みました

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発達障害者はとがめられて弁解をするが相手はますます気分を害します

それに対して回答者の方はこう答えていらっしゃいます

とりあえずビジネス文書の書き方の本でも読んでみましょうか?
何を言いたいのか簡潔にまとめる癖をつければだいぶん違います。

あと過去に同様の質問を何度もしているようですがそれらの回答からは
何も得るものはなかった他のか聞く耳を持たないのかどっちでしょうか?

「国立大学の大学院まで出て障害者雇用や作業所では割に合わない」

と結んでらっしゃいますが無職はもっと割に合いませんよ。

この方がおっしゃってることで間違ってることは一つもないと思い思います。

けれども未熟ながらもそれなりに悩みに悩んで相談してきた若者に対して
とりあえずビジネス文章の書き方の本でも読んでみましょうか?

回答者側からすればいくらも突っ込みどころはあるけれどとりあえず、
何を言いたいのかを簡潔にまとめる癖をとりあえずつければだいぶん違う。

そういう意味でおっしゃったのかもしれません。

言い訳だとしても間違っていたとしてもずれているにしても自分のことを
理解してもらおうと連綿と書いてきた文章です。

それに対してビジネス文章の書き方の本でもというのは相談者は
相当つらいと感じるのかなと思いました。

過去に同様の質問を何度もしているそれらの回答からは何も得るものがなかった
もしくはあなたは聞く耳を持たないのかどちらなのか?

確かに普通ならそう感じてもおかしくないかも知れません。

多分この質問者は同様の質問を重ねるということがそれまで答えて下さった
回答者の方に対して何も得るものはなかったということ同じなのだ。

何度も質問してしまえば聞く耳を持たないと思われてしまうかも知れないと
いうこと。

には気が回らないほど追い詰められていた。
少し人の心というものを考えなさ過ぎる。

そういう傾向がある質問者よりの、解釈かもしれませんが
発達障害者の傾向そのものだと思います。

最後に

結論としては他人の気持ちを大切にする程自分自身に余裕がなく常に自分自身は
追い詰められたという錯覚の中で生活をしていると私には観えます。

質問者の最後の文章に対しての回答者の回答を繰り返し引けば

「国立大学の大学院まで出て障害者雇用では割に合わない」

という質問者の本音に対して、

「無職はもっと割に合わない」

と切って捨てるように書かれています。

重ねて言いますが回答者の方は間違ってはいないと思います。

けれどこういうふうに言葉を打ち込む様な文章にしてしまえば質問者の方を
救いのない場所に追い込んでしまうことになる。

ということにまで心を配っていただければなおさら
質問者の方の為になったと思います。

無論、こういう答え方をすることで自分がどれだけ恵まれた環境に
甘えてきたかを気づかせることはできるかも知れません。

この質問に関して私は回答者さんと同じ意見です。

もし回答者さんが質問者さんに寄り添って答えてくださったならば
表現はもう少し柔らかくなったのかと思います。

私は回答者さんの意見には賛成ですが重ねて言いますが表現を
もう少し柔らかく答えてあげていただきたかったと思います。

それでは、いかがでしたか?
発達障害者がとがめられすぎて弁解を用意してさらに誤解を招く悲劇とは?
についてのまとました。
にぜひご参考にしてみて下さい 。

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