発達障害者の私が21年前の卒業旅行で保険に入れなかったのは理由とは?


こんにちは!高垣です。
この記事を読んで頂きありがとうございます。

今日は

「発達障害者の私が21年前の卒業旅行で保険に入れなかったのは理由とは?」

について私なりの見解を述べてみたいと思います。

発達障害は何が困る?

発達障害はいつも「関係性がうまく行かない」障害です。
どういう風に補えば「関係性がうまく行く」のか考えていきましょう。

このブログはアスペルガー症候群だった私が、
私の子供の頃感じていたことと母親の女性の視点から

今の子供たちについて双方の視点から気付いたことを、
書こうと思っています。

現在はいろんな技術が発達して本当に困ってしまうという事が
少なくなりつつあり当事者としてうらやましいと感じます。

発達障害の問題は「遺伝」の問題と関わっており
「家族」の関係性の問題があります。

親の「精神状態」の問題が存在しがちです。

発達障害者の私が21年前の卒業旅行では海外旅行は保険に入れず命がけ

発達障害者が、海外旅行に行こうというときって
旅行保険に入ることはまだ難しいですよね。

卒業旅行で障害者が保険に入れなかった時代からグッと
障害者も海外旅行も行きやすくなりました。

私は21年前にウィーンに卒業旅行に行きました。

卒業旅行を計画して保険を申し込みに行った時に、
発達障害者である私は保険を拒否されました。

その時私は、単純な保険に入れるかどうかの
交渉でしかないと思っていました。

でも本質的な問題は21年前には障害者用の保険プランが
ないことだったのです。

最近は私達のような発達障害者でも入れるようなジェイアイシーと
いう会社の保険がある様です。

その時にはただ必死に交渉してなんとか保険に入って
オーストリアにある首都のウィーンにいくことができました。

私の目的はクラシック音楽を聴くことでした。

日本にいる感覚で色々全てを自分でやろうとしたら、
21年前のヨーロッパの人達は当然ながら日本人とは違う雰囲気でした。

私は会ったヨーロッパの人達はすごく親切な人たちが
多かったような気がします。

すごく感激しました。

その当時の私は親切にされた経験は少なかったのだと思います。
そういう経験がない私はくすぐったかったのを覚えています。

まだ、何となく日本人は適当に扱われている感じも残っていました。

ホテルも当時、言われていた通りちゃんとした客室に通されませんでした。

それで真夜中、フロントで2時間ぐらいまくし立てた思い出があります。
食事はいつも屋台のホットドック屋さんで食べていましたね。

私にとってクラッシク音楽を引くことが聞くことだけが目的だったので
ものすごく旅行自体はストレスに感じていたような気がします。

でもこの強度のストレスは私の痙攣の発作を0呼び起こしたようです。

どうしても海外で0倒れるわけにはいかなかったので顔にしびれを感じながら
ウィーンの街を歩いたことを強烈に覚えていていい思い出です。

もしあれほど追い詰められてなかったらたんなるよ単なる海外旅行の
思い出として埋もれていたかもしれません。

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発達障害者の私が20年前の卒業旅行での理不尽なことが世界で理不尽だとなって来た

時代は少しずつ。私たちに追いついて来てくれているような気がします。
自閉症者はでも入ることはできるかもしれない保険というのも出てきているようです。

する障害者には優しくなければならない、暴力は振るわれるべきではない、
恫喝もされるべきではない。

こういうふうに本来なら当たり前のことが今やっと主張されているような気がします。

ヨーロッパでは今思い出してみると当時の日本の状況の段階を飛び越して健常者も障害者も
同じ人間だという意識があったような気がします。

旅行や旅というものは新しい価値感を私たちに提供してくれますね。

旅行は贅沢だという人もいますができれば卒業旅行はどこか海外に行って違う文化を
持っている土地を見てくる方が良いのではないか僕はそう思っています。

ただ楽しく遊ぶだけではなくて何かを感じるために日本を離れると
いう意識を持つ必要があると思うのです。

日本という集団は世界の中でグローバルであってほしいという様な世界の要請のもとに
世界標準でものを見ようとしているようでした。

しかしそのように見えながら日本は独自の価値観というの根強く持っている。
それをたった実質5日の旅行中に非常に痛感させられました

日本は障害者に対してどれだけ配慮は遅れているか?

それは日本という国の悪意ではないけれども鈍感さなのだとヨーロッパに20年前に
行った時に強烈に感じたことでした。

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発達障害者の私が20年前の卒業旅行でもどかしく思ったことが改善されつつある現在

この文章を今私はキーボードで打っているのではなく語ることでつぶやくことで
書くという方法をとっています。

発達障害者は自分にあったやり方それを見つけたり作り出したりするのはいつも
自分から探さなければなりません。

例えばキーボードで文章を打つならばブラインドタッチ、キーボードを見ないで
文章を作ることです。

私はブラインドタッチの技術を身につけた人の10分の1の速さでしか
キーボードが叩けません。

ということは、つまりブラインドタッチが出来る人の10分の1のスピードでしか
考えることができないということになってきます。

最近はつぶやくこと語ることでね文章が作成できるようになってから私はやっと
ブラインドタッチが出来る人達と並んだと感じています。

慣れればむしろ語りのわけですからリズムも備わるかもしれません。

海外の卒業旅行旅行はこういうことを考えさせてくれるいいきっかけになるのです。

日本を外から見るということはできるのは海外旅行の非常に重要な点だと思います。

他の国の文化に触れることも素晴らしいけれどもやはり日本という国を客観的に
見られるのは海外旅行の一番の魅力なところにそういうふうに私は感じます。

日本も少しずつではあるけれども変わりつつある私はそう思っています。

単純に名所をみるというのも旅行の楽しみ方ではあるので十分楽しんで欲しいと思います。

そして旅行に行った土地から日本と違いは見えると思うのでそれについて考える人は
海外旅行も醍醐味が味わえるといえるではないでしょうか。

最後に

発達障害者の私が21年前の卒業旅行で保険に入れなかったのはなぜ?
答えになるのはこういうことです。

本質的な問題は20年前には障害者用の保険プランが
ないことだったのです。

障害者向けの保険を作るという発想すらなかった。

悪意ではないけれども鈍感さ鈍感であることというのは
発達障害に似ているところがあります。

身体障害のない発達障害の場合普通の人に見えるけれども障害を持っている。

それと、悪意ではないけれども鈍感であるこちらの方が単に悪意があるとか
単にわかりやすく、障害を持っているということよりもすごく扱いにくいのです。

それでは、いかがでしたか?
発達障害者の私が21年前の卒業旅行で保険に入れなかったのは理由とは?
についてのまとました。
にぜひご参考にしてみて下さい 。

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