易占いは人生の波を教えてくれる術です


こんにちは!高垣です。
この記事を読んで頂きありがとうございます。
 
 

今日の話題は、「易の成り立ち」から、
書きたいと思います。
 
 

易の成り立ちの上で、大切な問題が、
あります。易という字はどのように
どこから生まれたか?の中に成り立ちの
ヒントがあります。
 
 

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易の文字の成り立ちには三つの説があります

 
 

「日」と「月」を組み合わせた
ものだというのが第一の日月説です。
 
 

後で説明いたしますが易占いには、
「陰」と「陽」の組み合わせから
あらゆる現象を説明しようとする
一つの体系です。
 
 

昼の陽を表す太陽、夜の陰を表す月
この二つの象徴から一つの文字を、
作り上げたというのはうなづける
考え方です。
 
 
第二の説はトカゲ説です。トカゲの
象徴だという説です。易という字は
トカゲのような形に見えませんか?
 
 

トカゲの一種のもカメレオンは保護色を、
持つ動物で、一日に十二回の体の色を
変えるといわれています。
 
 

「易」は物の変化を示すのが一つの機能です
からこの見方もうなずけます。英語で、
易を持っているチェンジと呼んでいる
のはこの説をとったのでしょう。
 
 

第三の説は「観測説」です。日をあおいで
「~する勿れ」ということから「日」と
「勿」の人を組み合わせと言われています。
 
 

つまり、人間が朝空を仰いで天気の模様から
その日の行動を判断決断するというところから
生じた文字と言うのです。
 
 
この三つの説のどれをとっても構いませんが、
「易」という文字はまた安いとも読まれます。
 
 

それは人生の航路が安らかであるように又は
危険を避けて暮らしやすいようにという人間の
念願を表しているのでしょう。
 
 

易とは満開の花に冬の枯れ木を見る術

 
 
それではこの易占いはないがしろにされまであやまられ、
軽蔑されてきた原因はどこにあったのでしょうか?
一つには今まで易占いをする人々が
 
 
「論語読みの論語知らず」
 
 
という例えのように本当の易経を理解できなかった
せいもあるでしょう。またこれを実際に占いに用いる
場合には、街頭に見かけるよう見かけの筮竹
(細長い何十本の竹の棒)を用いますね。
 
 

その筮竹の印象や手相と違ってなんか神秘的で信憑性を、
持たないように思われる傾向があったかもしれません。
 
 

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しかし、 仏教にも『般若心経』に「色即是空、空即是色」
というような言葉があります。木々の冬芽を割ってみても
そこには花はありません。
 
 
また満開の花を見たときには冬の枯れ木を想像できない
でしょう。これは天体の運行、四季の推移によって自然に
起こる流転ですがこれをひとくちに言うなら「天の時」
といえましょう。
 
 
時に合えばこそ美しい花も開き緑の葉も生じるのです。
易占いというものはある意味で、「天の時」を予見する
技術です。真冬に満開の花を見出し花の盛りに枯れ木の
あるわびしさを推し量る技術といえるでしょう。
 
 

花を見て枯れ木を語れば人は、いぶかしがるでしょう。
イギリスの詩人シェリーの「春に」という詩の中に
 
 
「冬来たりなば春遠からじ」
 
 
という名言がありますが私はこの言葉の中に西洋、東洋の
差別ない人間本来の姿を見出します。
 
 

易占いは歴史は栄枯盛衰の繰り返しであることを教える

 
 

平家物語の巻頭にも人生の流転の姿を歌っていますが
このように描き出された源平闘争ほど私どもに歴史が
私共に、人間の栄枯盛衰の外を教えてくるものありま
せん。
 
 

かつてはその勢力もほとんど拮抗していた源平両氏でした。
それが英雄平清盛が出現してからというものは源氏は内部崩壊を、
起こし最後には

「平氏にあらざるものは人にあらず」

と言われるようになってきました。
 
 

平清盛は厳島で沈まんとしている太陽を扇で
招き返したとさえ言われます。これは清盛の
威勢をたたえた誇張でしょう。けれども、
誰がこの時後年壇ノ浦の悲劇を想像できたでしょう。
 
 

又は平治の合戦で捕らえられた源頼朝が危うい命を
救われて伊豆の蛭ケ小島に流された時に誰が鎌倉幕府の
ことを予想できたでしょう。
 
 
しかし文覚上人は伊豆の配所で頼朝ひと目見たとき
この人は天下人だと予言したと言われてます。
おそらく頼朝は天下を統一するだけの覇気がみなぎって
いたのでしょうか?
 
 

ただ、そのような英雄も天の時に会なければ自分の力を
発揮することができなかったのです。これは人間生活に働く
天の時の力の良い例ではないでしょうか。

このように一国でも一種族も一個人でもつねに栄枯盛衰は、
繰り広げ繰り返されるのです。普通の人間には英雄 の一生
ほどの浮き沈みはないでしょう。ただ波の幅は小さくても
必ずそのような変化は起こっているものなのです。
 
 
こうして、時々刻々写り流れる自然人生の姿を出現する
前にとらえるのが易占いの本質なのです。
 
 
それでは、以上で
初詣の由来とは?いつまで行けばいいの?
についてのまとました。
 
 

最後まで、
読んでいただき
ありがとうございました。

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