発達障害と書かれる貴乃花親方とかたくなさと耐えることの違いとは?


こんにちは!高垣です。
この記事を読んで頂きありがとうございます。

今日は

「発達障害と書かれる貴乃花親方とかたくなさと耐えることの違いとは?」

について私なりの見解を述べてみたいと思います。

発達障害は何が困る?

発達障害はいつも「関係性がうまく行かない」障害です。
どういう風に補えば「関係性がうまく行く」のか考えていきましょう。

このブログはアスペルガー症候群だった私が、
私の子供の頃感じていたことと母親の女性の視点から

今の子供たちについて双方の視点から気付いたことを、
書こうと思っています。

現在はいろんな技術が発達して本当に困ってしまうという事が
少なくなりつつあり当事者としてうらやましいと感じます。

発達障害の問題は「遺伝」の問題と関わっており
「家族」の関係性の問題があります。

親の「精神状態」の問題が存在しがちです。

発達障害とかたくなさと季節に学ぶ耐えること

発達障害者は、寒いときって
つらいことが多いです。

そんなつらい状況もこんな気持ちでグッと
楽になれるのではないでしょうか。

最近の気候は非常に厳しい熊本です。

本当に何もできないやらなければならないこともできなくて無理に、
時間を過ごさなければならないこともよくあります。

冬うつになってよかったと思うことが一つだけあります。

それはどういうことでしょうか?

それは何もできないこの状態を

「耐えること」

を覚えたことです。

できることは私もやります。

しかしそれがやらなければならないことをやりたいことだとは限りません。

記録を見て最近仕事をできていなかったことに気づき愕然としています
リハビリというものはそういうもので地道なものです。

劇的な効果はすぐには望めません。

しかし放り投げるわけにはいかないのは私にはそれしかないからです。
私にはそれしか支えがないからです。

毎日コツコツと作業やこなしていくことは思いのほか大変なことです。

今日一日筆をを走らせること、絵を描くこと、ある作業すること。
それが出来たとしても毎日ずっとそれをやっていくのは並大抵の事ではありません。

だからあ投げ出さない自分しかいないのです。
代わりに誰かにやってもらうこともきるかも知れません。

でも今は私がやるべき仕事です。

一人語りの様になってしまいました。

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発達障害と書かれる貴乃花親方とかたくなさと語ることの大切さ

私がこの冬のつらさに思い出すのは貴花田親方のことです。

貴乃花親方がおかしいのは発達障害?だとか

目がうわの空なのは洗脳の影響?とか書かれますが、

貴乃花親方の言動の筋が通っていないかな?

とは思いますが診断を受けったわけでもないのに
断言するのはやりすぎだと思います。

ただそう思われる節はあります。

なぜ時節に固執して

何かをしゃべることがないのでしょうか?

今回の理事選では「鉄の結束」嵩花田親方の「カリスマ性」
といわれましたが一門からの離反者を出してしまいました。

誰かに喋ることそれは非常に重要です。

弟子の貴乃岩の事件の時に喋れることはしゃべらなかったのか?

喋ることは自分を伝えることになります。

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・発達障害と書かれる貴乃花親方とかたくなさと人気者になることの大切さ

独り言でも充分意味があると思います。

独り言でも今の時代なら自分の意見を伝える言葉になります。
トランプ大統領がそうですね。

脱線はそのくらいにするにしても声を出すことは気持ちを
持ち上げてくれます。

貴乃花親方は厳しい顔をして黙ったいましたがあれは
「耐えていた」というより独りよがりのように私には思えました。

しゃべることはある何をよく考えなければ出来る事ではありません。
自分のスタイルを崩してでも観客に自分の考えを伝えること。

それが貴乃花親方にとっての「耐えること」だったのではないでしょうか?

しゃべる事で呼吸は深くなります。

一人で悶々としなくてもすみます。

何かを書こうと思いとしてipadの前で口述筆記のしゃべっている自分を
確認することできます。

自分が前向きであることを知ることもできます。

自分が自分を認め受け入れるようなそういうことがなければ自分自身が
保てないような気もします。

易占いの考え方からしても、自分を認めたあとは環境を受け入れる
環境を認めるという話が出てくるのです。

環境を受け入れることがある意味での、「耐える」という事なのかなと
感じますね。

去年の年末の忘年会でも「どんなに蔑まれようとも」と貴乃花親方は、
行っていたようでした。

横綱なら勝てばいいでしょうが親方はおり建てられなければ何もできません。

これは発達障害者も一緒で結果を出すだけではだめで受け入れられるために
ある程度は「耐える」という選択肢もあるのかなと思いました。

これは時と場合によりますね。

個性が以上に強い人間はその個性を生かした方が生きやすいでしょう。
「耐える」ことに重心を置くと生きがたくなります。

「耐える」ことなく生きるというのもいいのかも知れませんが、
冬の寒さには勝つことはできませんね。

最後に

もう一度書きます。

冬うつになってよかったと思うことが一つだけ
あります。

それはどういうことでしょうか?

それは何もできないこの状態を

「耐えること」

を覚えたことです。

今回の貴乃花親方が理事選の件で彼が発達障害かどうかよりも
「耐えること」をできないと人は孤立の可能性がある。

「耐えること」がどういうことなのかはその人によります。
自分大好きという意味ではなく自分を客観視することは大切だという2点ですね。

それでは、いかがでしたか?
発達障害と書かれる貴乃花親方とかたくなさと耐えることの違いとは?
についてのまとました。
にぜひご参考にしてみて下さい 。

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