作品を飛び出した言葉は、なぜ現実の中で生き続けるのか

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作品を飛び出して使われる言葉

SNSを見ていて、興味深い趣旨の投稿に出会ったことがあります。

『鬼滅の刃』に出てくる「全集中の呼吸」という言葉が、子どもに落ち着いてもらいたい医療の場でも役立つことがある、という内容でした。作品を知っている子どもなら、この言葉によって深く呼吸し、気持ちを落ち着かせ、目の前のことに集中するイメージをつかみやすいのでしょう。

私はこれを読んで、作品が大ヒットしたからこそ起きた現象だと思いました。しかし、それだけでは説明できないとも感じました。

どれほど有名な作品でも、その中で使われる言葉がすべて日常生活へ出てくるわけではありません。

「全集中の呼吸」という言葉は、それ自体が少し異常です。

呼吸は意識的に変えることもできますが、そもそも人間が普段、意識しなくても行っているものです。その呼吸に「全集中」という言葉が結びつく。

作品を知らない人が初めて聞いても、普通の呼吸ではない何かをやろうとしていることは感じ取れるはずです。

作品が広く知られていることに加えて、その言葉自体にも人を引っ掛ける何かがある。

私は、作品の言葉が現実の世界へ出ていくためには、この二つが必要なのではないかと思いました。

日常の失敗が突然「物語」になる

そこで私が思い出したのが、『進撃の巨人』の「君が始めた物語」という言葉です。

私はこの言葉を自分で頻繁に使ってきたわけではありません。しかし、YouTubeのライブ配信などを見ていると、アニメ好きの配信者が何かに失敗したとき、自分自身に向かって「君が始めた物語やん」と言うのを何度か見ました。

自分で何かを始めて、その結果として困ったことになった。そんな人に対して、周囲がこの言葉を使うこともあります。

私は、この使い方には妙なおかしみがあると思っていました。

普通なら「自分で始めたんだから仕方がない」で済むような話です。

ところが、それを「君が始めた物語」と言った途端、ちょっとした失敗が突然、大げさなものになります。

日常生活で「仕事を始めた」「勉強を始めた」「企画を始めた」とは言います。

しかし、普通の個人に向かって「君は物語を始めた」と言うことは、まずありません。

だから原作の詳しい事情を知らなくても、この言葉単体に少し違和感がある。

日常の小さな出来事と「物語」という大きな言葉の間にズレがあるのです。

そして原作を知っている人には、作品内での言葉の重さまで加わる。その重さを日常の些細な失敗へ持ち込むから、さらにおかしくなるのだと思います。

「仕方がない」と「物語」は何が違うのか

しかし私は、「君が始めた物語」という言葉のおかしさは、単に大げさだから生まれるのではないと思います。

「自分で始めたんだから仕方がない」と言えば、その話はそこで小さくまとまります。

自分で始めた。失敗した。だから仕方がない。

これで終わります。

ところが「君が始めた物語」と言われると、そこで終わらない。

なぜなら、始まったのは「物語」だからです。

今起きた失敗さえ、その後へ続く何かの一場面になってしまう。失敗した時点で話が閉じるのではなく、そこからさらに何かが生まれるような響きがあります。

私はここに、バタフライエフェクトにも似たものを感じます。

バタフライエフェクトという言葉は、今では広く知られています。小さな変化が、後になって大きな変化につながるという考え方自体も珍しいものではなくなりました。

しかし、知識として知っていることと、日常の中で感じることは違います。

今日、自分が何気なく選んだこと。

何となく始めたこと。

その小さな行動が、後から振り返れば「あそこから始まった」と言える出来事になる可能性はあります。

それでも、その瞬間に「私はいま物語を始めた」と考える人はほとんどいないでしょう。

だから、この言葉は大げさでおかしい。

同時に、完全な冗談とも言い切れない。

その二つが同居しているところに、私はこの言葉の面白さを感じます。

大ヒットしただけでは共通言語にならない

ここまで考えると、作品の言葉が現実社会へ広がる条件も少し見えてきます。

もちろん、多くの人がその作品を知っていることは重要です。

知っている人が少なければ、作品中の言葉を日常で使っても、相手には何のことか分かりません。『鬼滅の刃』が大ヒットしたことは、「全集中の呼吸」という言葉が作品の外でも通じるための大きな力になったはずです。

しかし、私は知名度だけでは足りないと思います。

作品の中で非常に重要な言葉だったとしても、それが日常でも普通に使われる言葉なら、作品から離れた瞬間に特別な力を失ってしまうからです。

「全集中の呼吸」には、呼吸に全集中するという普通ではない組み合わせがあります。

「君が始めた物語」には、日常の一個人が物語を始めるという普通ではない組み合わせがあります。

どちらも少し変なのです。

だから耳に残る。

作品を知らなくても、言葉そのものに何か引っ掛かるところがある。そして作品を知っている人なら、その短い言葉から作品の背景まで呼び起こすことができる。

私は、作品の言葉が社会へ出ていくためには、作品そのものの知名度と同時に、こうした「言葉単体の力」が必要なのではないかと思います。

普通の言葉ではないからこそ、作品を離れた後にも固有の言葉として生き残るのです。

作品を離れた言葉は、新しい意味を持ち始める

さらに興味深いのは、作品を飛び出した言葉が、元の作品とまったく同じ意味で使われ続けるとは限らないことです。

「全集中の呼吸」は、現実の中では、呼吸を整えたり、気持ちを落ち着かせたりするための分かりやすい合図として使うことができます。

一方、「君が始めた物語」は、私がYouTubeなどで見てきたように、日常の小さな失敗を必要以上に壮大な出来事として扱い、笑いを生み出すことができます。

しかも私には、その笑いだけでは終わらないところが面白い。

「仕方がない」なら、そこで話は終わります。

しかし「物語が始まった」と言えば、その先があります。

いま起きている些細なことも、未来から振り返れば、何かが始まった瞬間だったのかもしれない。

作品の中で生まれた言葉が現実へ持ち出され、そこで別の用途を持ち、さらに新しい意味まで帯びていく。

私は、大ヒット作品が社会に残すものは、売上や興行収入だけではないと思います。

作品の登場人物が使っていた言葉を、現実に生きている人間まで使い始める。

そしていつの間にか、その言葉を使って現実そのものを説明するようになる。

そこまで来れば、その作品は物語を提供しただけではありません。

私たちが現実を見るための言葉まで、一つ増やしたことになります。

あなたにも、もともとは漫画やアニメ、小説や映画で知ったのに、いつの間にか現実の出来事を表す言葉として使っているものはないでしょうか。

作品から生まれた言葉は、ときに作品が終わった後も、現実の中で生き続けるのです。

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