「何もするな」と言われて育った私が、自分にはできると信じるまで

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「何もするな」と言われて育った私が、自分にはできると信じるまで

私は、子どもの頃から「何もするな」と言われて育ちました。

私には、生まれつき右半身に麻痺があります。

何かをしようとすると、失敗するかもしれない。危ないかもしれない。人に迷惑をかけるかもしれない。

そうした心配からだったのでしょう。母からは、何もしないようにと言われていました。

もちろん、母にも心配する理由があったのだと思います。私に危険な思いをさせたくなかったのかもしれません。

しかし、子どもの私にとって、大人の言葉は非常に重いものでした。

「何もするな」と繰り返し言われれば、何もしないことが正しいのだと思うようになります。

失敗するくらいなら、最初からやらない方がよい。

できるかどうか分からないことには、手を出さない方がよい。

そういう考え方が、自分の中に入り込んでいったのだと思います。

大人が「できない」と言えば、本当にできないのか

しかし、私は次第に疑問を持つようになりました。

大人ができないと言ったからといって、それは本当にできないということなのだろうか。

その人は、私が何をすればできるようになるのか、そこまで考えて判断しているのだろうか。

もちろん、人間にはできないことがあります。危険なこともあります。

しかし、今できないということと、これから先もできないということは、同じではありません。

何かをするために知識が足りないなら、勉強すればよい。

道具が必要なら、用意すればよい。

自分一人で難しいことがあれば、人の助けを借りる方法もあります。

そうやって考えていけば、最初はできないと思っていたことでも、できるようになるのではないか。

私は、その考えを信じたいと思っていました。

最初から確信していたわけではありません。

むしろ、自分にはできないことが多いと言われてきたからこそ、それが本当なのかを確かめたかったのだと思います。

ドイツへの一人旅を考え始めた

私がドイツへ一人で旅行しようと考えたときも、簡単な話ではありませんでした。

目的は、ベートーヴェンの第九交響曲を聴くことでした。

しかし、私には右半身の麻痺があります。ドイツ語も話せません。

どのような空港に到着するのか。どのようなホテルに泊まるのか。そこから演奏会が開催される土地まで、どうやって移動すればよいのか。

分からないことばかりでした。

何が起こるのかも分からない。

私は、死ぬかもしれないとさえ考えていました。

それは、実際に命を落とすような出来事が起こると分かっていたからではありません。

何が起こるか分からない以上、最悪の場合には死ぬようなことだって起こるかもしれない。

私にとって、それほど未知の世界だったということです。

周囲からも、一人で行くことについて心配や反対の声がありました。

しかし、心配されることと、本当に実現できないことは同じではありません。

私は、実際に何が必要なのかを一つずつ考えることにしました。

長い時間をかけて、一つずつ準備した

旅行の準備は、一度にすべてを整えたわけではありません。

パスポートを作り、必要な道具を楽天で購入する。

そのとき自分が取り組むべき課題を一つずつ決め、長い時間をかけて準備を進めました。

迷いながら、それでも一つずつ進めていったのです。

そして、いつでも旅行に出発できるように、必要最低限の準備を整えました。

しかし、準備が整ったからといって、すべての問題が解決したわけではありません。

私にとって最後まで大きな問題だったのは、お金でした。

旅行の費用は、最終的にどこまで膨らむのか。

そして、その金額を支払うだけの価値が、この旅行にはあるのか。

私は、そのことを繰り返し考えていました。

まだ聴いていない音楽に、いくら支払えるのか

私は、演奏会のチケットについて、自分では非常によい席を確保できたと感じていました。

しかし、席がよいからといって、演奏の出来まで保証されるわけではありません。

その演奏がどれほど素晴らしいものになるのか。

それは、実際に聴いてみなければ分からないことです。

私は、まだ経験していない未来の音楽に、どれほどのお金を支払う価値があるのかを考え続けていました。

自分の手持ちのお金から旅行費用を支払っても、後悔することはほとんどないのではないか。

そう思う一方で、もし無一文になるほどのお金を使ってしまったら、それでも納得できるのだろうかという迷いもありました。

未来の演奏の価値を、今の自分が完全に知ることはできません。

それでも、決断しなければならないときはあります。

私の背中を押したのは、今回の機会を逃した場合、次に同じような条件で第九交響曲を聴くことが非常に難しくなるのではないか、という思いでした。

第九を聴く機会が、今後まったくなくなるわけではありません。

しかし、ドイツ語ができない私にとって、海外の演奏会のチケットを確保することは簡単ではありませんでした。

今回は、自分が納得できる席を手に入れることができていました。

この機会を見送れば、次に同じような条件を整えることは、もっと難しくなるかもしれない。

そのことを考えた末に、私は今回の旅行に行こうと決断したのです。

ドイツの鉄道窓口で起こったこと

ドイツに到着してから、私は高速鉄道のチケットを購入しなければなりませんでした。

目的地は、バーデン=バーデンです。

しかし、ドイツ語ができません。

スマートフォンの翻訳アプリを使い、身振り手振りを交えながら、窓口で何人もの係員に問い合わせました。

ところが、なかなか話が通じません。何人もの係員の間を回されることになりました。

その中で、一人の女性係員が対応してくれました。

「あなたは何がしたいの?」

そのように尋ねられたので、私は拙い英語で、自分が何をしたいのかを伝えました。

すると、その女性は、どのように移動すればよいのか、何時何分に何番乗り場で待っていればよいのかを説明してくれました。

私は、移動方法を教えてもらったのだと思いました。

そこで、自動券売機でチケットを買えばよいのかと尋ねました。

すると女性は、私が理解した範囲では、次のようなことを言ったのです。

「これだけ話しても意思疎通が難しいのに、ドイツの券売機で、バーデン=バーデンまでの適切なチケットを自分で購入するのは難しいでしょう。ここで発券してあげますよ」

そして、約2万円かかることも確認してくれました。

安い買い物ではない、ということだったのでしょう。

しかし、私は事前に旅行費用を調べていました。

そのくらいの金額になることは、すでに見積もっていたのです。

だから、私は大丈夫だと伝えました。

とにかく、バーデン=バーデンに行くことができればよい。

そして、窓口でチケットを発券してもらいました。

率直な言葉の奥にあった親切

チケットを受け取ったとき、私は安心しました。

これでバーデン=バーデンに行ける。

まず、その気持ちが強かったのです。

もちろん、それで旅行中の不安がすべて消えたわけではありません。

私は少し高いホテルを予約していました。言葉が十分に通じなくても、ホテルの人なら何とか理解しようとしてくれるだろうと、勝手に期待していたところもありました。

しかし、鉄道の窓口で対応してくれた女性の言葉には、少し驚きました。

あなたは、券売機で適切なチケットを購入できるほど、こちらの説明を理解できているのか。

私には、そのような意味に聞こえたのです。

日本では、そこまで率直に言われることは、まずありませんでした。

正直に言えば、そんな言い方をしなくてもよいのではないか、と少し思いました。

私が実際の年齢より若く見えたため、青年に話しかけるような感覚だったのかもしれません。しかし、本当の理由は分かりません。

それでも、少し考えれば、その女性が何をしようとしてくれていたのかは分かりました。

私が間違いなくバーデン=バーデンへ行けるように、説明するだけでなく、窓口でチケットを発券してくれようとしていたのです。

約2万円という金額についても、きちんと確認してくれました。

言い方に少し引っかかるところはあっても、実際には細やかに助けてくれた。

私は、その女性に感謝しました。

自分一人ですべてを解決できなくても、自分の目的を伝え、人の助けを借りながら目的地へ向かうことはできる。

私は、そのことを実際に経験したのです。

私は、自分にできると信じたかった

私は、以前から「どんなことでも自分にはできる」と確信していたわけではありません。

むしろ、そう信じたいと思っていたのです。

周囲からできないと言われても、本当にできないのかどうかは、実際に考え、準備し、挑戦してみなければ分からないのではないか。

私は、その考えを信じたかったのだと思います。

ドイツへの一人旅は、それを実際に確かめる経験になりました。

右半身が麻痺していて、ドイツ語も話せない。

現地で何が起こるかも分からない。

それでも、自分で準備を進め、必要なところでは人の助けを借りながら、目的地へ行き、音楽を聴き、無事に帰国しました。

振り返ってみれば、私は普通のことをしただけなのかもしれません。

ちょっと遠くまで旅行に行って、帰ってきただけです。

しかし、右半身が麻痺し、現地の言葉も話せない人間が、海外旅行を自分で準備し、実現した。

そのことを改めて考えれば、決して簡単な条件ではなかったと思います。

旅行会社に手配を任せる人もいるでしょう。通訳を頼む人もいるかもしれません。

私は、できる限り自分で準備し、必要なところでは人の助けを借りながら旅行しました。

それができたのです。

私は、準備に時間をかけ、何度も迷い、現地でも問題に直面しました。

しかし、実際にやってみれば、必要なことを一つずつ解決していくことができた。

そういう意味では、私はこの旅行を楽々とやってのけたのだと思っています。

まとめ|「どんなことでもできる」という信念

私は、どんなことでも自分にはできると信じたいと思っていました。

もちろん、そう信じたからといって、世の中のあらゆることが実現できると証明されたわけではありません。

しかし、私はそう信じたのです。

今の自分には足りないものがたくさんあるかもしれない。

知識も、経験も、道具も、お金も足りないかもしれない。

それでも、足りないものを一つずつ整え、分からないことを調べ、悩みに悩んで自分で答えを出す。

そうやって進んでいけば、どんなことでもできるのではないか。

私は、そのように信じたかったのです。

そして、ドイツへの一人旅は、その信念を現実の中で確かめる経験になりました。

私は、何でもできるという信念を持って行動し、実際に一つの大きなことを成し遂げたのです。

それは、未来のすべての成功を保証するものではありません。

しかし、私にとっては十分に大きな証明でした。

どんなことでもできると信じて行動する。その信念のもとで、自分には難しいと思われていたことを、実際にやってのけた。

ドイツへの一人旅は、私にとってそういう経験だったのです。

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