私は、自分自身を軽蔑するような行動を、できるだけ避けたいと思っています。
自分が過ごしてきた時間を、後から自分自身で軽蔑するような生き方はしたくありません。
これは特別な出来事についてだけの話ではありません。私にとっては、日々の生活、そして人生そのものに関わる課題です。
今日、自分は何をしたのか。
やるべき作業をやったのか。記事を書いたのか。発信したのか。何かを勉強したのか。昨日にはなかったものを、今日一つでも作ったのか。
私は日々、そういうことを考えています。
たとえば、こうしてAIと対話することも、私にとっては作業の一つです。対話を重ねることで考えが整理され、一つの記事の核が生まれることがあります。
それなら、まだ記事を公開していなくても、昨日より何かが前へ進んだことになります。
何か一つでも前に進んだのであれば、その日は価値のある一日だった。
私はそう考えています。
しかし、それだけですべて納得できているのかと言えば、そうではありません。
まだ納得できていないことがある。だからこそ、明日も考え、取り組むべきことが残っているのだと思います。
目次
私が軽蔑したくないのは、失敗した自分ではない
ここで、はっきりさせておきたいことがあります。
私は、失敗した自分を軽蔑するわけではありません。
何かに挑戦して失敗したとしても、もう一度挑戦することはできます。失敗した原因を考え、方法を変え、再び取り組めばよいのです。
私が問題にしているのは、失敗そのものではありません。
本来、自分にできる努力があり、取り組むこともできた。それにもかかわらず、自分からその努力を怠ってしまった場合です。
できなかったことと、努力を怠ったことは違います。
人間には、休まなければならない日もあります。体調が悪く、思うように動けない日もあるでしょう。
そうした事情によって行動できなかったことまで、努力を怠ったと考えるつもりはありません。
私が問題にしているのは、自分にできることがあると分かっていながら、取り組む姿勢そのものを放棄してしまうことです。
結果が出なかったという事実だけで、自分の価値が決まるわけではありません。
しかし、自分にできることにどう向き合ったのかという姿勢は、自分自身のあり方に関わってきます。
だから私は、失敗することよりも、自分にできる努力から逃げ続けることを恐れています。
自分の活動からお金を生み出したい
私にとって、お金というものは重いものです。
「人生はお金だけではない」という言葉があります。私も、お金だけが人間の価値だと言いたいわけではありません。
しかし、私たちは資本主義社会の中で生きています。
私が会社に勤めていないこと自体を、私は問題だとは思っていません。会社に勤めることだけが仕事の形ではないからです。
けれども、自分の活動からお金を生み出していないということは、私が自分自身の人生を評価するとき、かなり大きな影響を与えます。
記事を作る。発信する。勉強する。考える。
そうした活動を続けていても、そこから収益が生まれていなければ、
「これは本当に価値を生み出しているのだろうか」
という疑問が出てきます。
頭では、準備が必要なことは分かります。
今日書いた一記事が、今日すぐにお金になるわけではありません。勉強したことも、対話から生まれた考えも、すぐに収益として現れるとは限りません。
収益という答えが出ていない間は、本当に自分が正しい方向へ進んでいるのかを実感することが難しいのです。
だからこそ、私は今日できることに取り組みたいと思っています。
前進した一日の価値と、事業としての結果は違う
私は、「毎日頑張っていれば、それだけで十分だ」と簡単には言えません。
準備を続けたからといって、それが必ず収益につながるという保証はありません。
記事を書き続けても読まれないかもしれない。発信しても反応がないかもしれない。自分では価値があると思って作ったものが、社会から価値を認められないこともあるでしょう。
だから、私は迷いながら続けています。
今日一つでも前へ進んだなら、その一日には価値があったと思う。
しかし同時に、それを何か月、何年と続けても収益につながらなければ、本当にこれでいいのかという疑問も出てくる。
ただ、私はこの二つを、まったく同じ問題として扱うべきではないとも考えています。
一日の過ごし方に価値があったかどうかと、事業として成果が出ているかどうかは、別の評価だからです。
今日、自分にできる努力をした。その一日には価値がある。
しかし、その努力を積み重ねている方向が適切なのかは、別に考えなければなりません。
私はまだ、この問題に完全な答えを持っていません。
むしろ、答えが出ていないから毎日確かめている、と言った方が近いのかもしれません。
一年間、収益が出なかったとしても
仮に、一年間、記事を書き、勉強し、発信を続けたにもかかわらず、収益がほとんど生まれなかったとします。
それでも、私はその一年間に価値がなかったとは考えません。
勉強したことも、書いた記事も、積み重ねた経験も残っているからです。
しかし、それで納得して終わることもできません。
私は、おそらく二つのことを考えるでしょう。
一つは、一年間の時間の使い方が適切だったのかということです。
もう一つは、自分が生み出した価値を、どうすれば収益につなげられるのかということです。
一年間に価値があったことと、その一年間の使い方が適切だったことは、必ずしも同じではありません。
自分が努力していたとしても、時間の配分を間違えていた可能性があります。
必要なことを勉強していても、それを読者に届ける方法が適切でなかったかもしれません。
価値のあるものを作っていたとしても、収益につなげる仕組みが整っていなかった可能性もあります。
だから私は、収益が生まれなかったという結果だけを見て、それまでの活動を否定するつもりはありません。
しかし、同じことを繰り返すだけでよいとも思っていません。
価値を生み出すことと、収益に変えることは違う
仮に、私の記事が多くの人に読まれ、高く評価されていたとします。
それでも、収益がほとんど生まれないということはあり得ます。
その場合、何を考えるべきでしょうか。
記事の内容に問題があるのか。
読者が求めているものと、自分が提供しているものに違いがあるのか。
読者にとって価値があることと、お金を払ってもらえることの間に、違いがあるのか。
それとも、収益につなげる仕組みそのものが整っていないのか。
原因は一つとは限りません。
だから私は、一つの理由だけで判断するのではなく、いろいろな視点から考えたいのです。
記事が読まれているなら、どのような記事が読まれているのかを確かめる。
読者が求めているものが分かれば、その方向に記事を増やすことも考える。
必要なら、記事同士をつなぎ、読者が関連する内容を読み進められるようにする。
そして、どのような方法なら自分の活動を収益につなげられるのか、仕組みそのものを検討する。
もちろん、それで必ず成功するという保証はありません。
それでも、結果が出なかった理由を検証し、今から何を変えればよいのかを考えることはできます。
価値を生み出す努力と、その価値を収益につなげる努力。その両方が必要なのだと思います。
結果が出なかったことと、何もしなかったことは違う
では、なぜそこまでして続けるのか。
その理由の一つが、自分が自分自身を軽蔑したくないからです。
結果が出なかったことと、自分から何もしなかったことは、私の中では同じではありません。
やってみた。
考えた。
作った。
発信した。
それでも結果が出なかったのであれば、そこからまた考えることができます。
しかし、本当はやるべきことが分かっているのに何もしなかった。本当はやりたいと思っていたのに、自分から逃げ続けた。
そういう自分を積み重ねてしまうことを、私は怖いと思っています。
もちろん、毎日必ず大きな成果を出さなければならない、という話ではありません。
今日できることが小さいなら、小さいなりにやる。
記事一本を完成できなかったとしても、記事になる考えを一つ掘ることができたのなら、それも前進だと私は考えています。
そして、失敗したのであれば、その失敗から学び、もう一度挑戦すればよい。
大切なのは、失敗しないことではなく、自分にできる努力を放棄しないことです。
まとめ|自分が納得できる人生を積み重ねたい
私は、自分自身を軽蔑するような生き方をしたくありません。
しかし、それは失敗した自分を責めるという意味ではありません。
自分にできる努力を怠らず、結果が出なければ原因を考え、必要なら方法を変えて、もう一度挑戦する。
そういう姿勢で生きていきたいのです。
今日、一つでも前に進んだのであれば、その一日には価値があったと思います。
しかし、価値のある一日を積み重ねることと、求める結果を得ることは同じではありません。
だから私は、自分の活動を収益につなげる方法も考え続けます。
記事を書き、発信し、勉強し、考える。
その活動から何が生まれ、どのような価値を人に届けられるのか。
そして、その価値をどうすれば収益につなげられるのか。
私は、まだその答えを探している途中です。
それでも、結果が出ないことを恐れて何もしない人生より、考え、試し、失敗し、改善しながら進む人生を選びたい。
自分が自分を軽蔑しないために、今日何を積み上げるのか。
私は、その問いに、毎日の行動で答えていきたいと思っています。
