こんにちは!高垣です。
この記事を読んで頂きありがとうございます。
今日の内容は易占いがさまざまな占いの中で、
どんな位置を占めるのかを説明するという所
から始めてみたいと思います。
易占いは人生の何を教えるのか?易の中の2つの大道ー相と易
私達、平凡な人間はいつも迷って失敗します。
現在わが国では数多くの占いがおこなわれて
いますね。
易占い、四柱推命学、姓名判断、九星術、天文術
手相、人相、家相、墨色判断などですね。
その全部を並べ立てても仕方はありませんが
その中で相学と易占いは占いの中で大きく2つの
大道とされています。
相学はまた人相とか手相とか
細かく分かれています。
けれども、要するに形に現れたものですから任命を、
読み取ろうとする方法です。
これは人類何千年の経験的な知恵の集積です。
顔なり手なりに現れている特徴の違いから見た
比較論です。そこには統計的な真理があり、
確率の法則が適用できるのです。
それに例えば人に対してにこやかな顔で接すれば
人は好感を持つでしょう。キンキン声でものを
言うより穏やかに優しく話した方が人は親しみを
覚えるでしょう。
荒っぽく急ぎ足で出歩くより落ち着いてゆっくり
歩く方が、人はあなたに対して信頼と信用を増す
でしょう。
このように相学から運命を予言することも大変、
興味のある問題ですがこのブログでは最も深い
占いである易占いだけに絞ります。
「易経」と易占いの関係とは
易占いは原文が難しい漢文のため、今まで一般の人には、
占えないものとされていました。この難しい原文こそ
聖典と言われる「易経」です。しかし、易経の教えに
したがって占いをすることが易占いなのです。
そしてこの易占いは昔から占いの中の王道といわれ
帝王の学といわれてきました。東洋流の占いで信頼
できるものは大抵このう易占いから別れて発達した
ものなのです。
それでは、易占いはどのようにして作られてきたのでしょうか?
人類文明発祥はエジプトのナイル川付近、
中東のチグリスユーフラテス河畔、インドのインダス川流域、
中国の黄河流域というのが定説です。
しかしこの4つの地方に文明が定着する以前人類は高原地区に
水や草を求めつつ、遊牧の暮らしを送っていただろうととも
人類学の上ではほぼ定説になっています。易占いの最古の
原型は「連山易」というものです。
これは中国の人々が山穴居生活を営みに狩猟によって生活
していたころの占いです。それから時代が下がって漢民族の
祖先が黄河のほとりで農耕生活を始めた頃に「帰蔵易」という
ものが出来上がりました。
この2つの原型はあったことをわかっていますが、その今日では
その内容は伝わっていません。現在まで残っているものは
約3000年前に完成されたとされる「周易」です。現在、易と
いえばこの「周易」のことなのです。
それはこの時代に中国で文字というものの体型が完成し、
一般に用いられているようになったために後世に伝える
ことができたたのでしょう。
その頃、中国の帝王は天災地変、飢饉、戦乱などの
大災害から民衆をいかに守るかということを最大の
政策としていたのです。その中で避けられないものも
あります。
例えば治水工事によって川の氾濫を防ぐとか、万里の
長城を築いて異民族の侵入を防ぐとか当時なりに最善の
手段を尽くしていたのです。
「周易」をそのための予知手段つまり天変地異の予言する
術として発達したわけです。このように週から現在まで
3000年もの間「周易」が帝王の学として尊ばれたのも
この教えが天地自然の理法にかなっていたからです。
経験の集積によってできた一つの学問で「周易」に
よってできた一つの学問で個人の場合は、保身術となり
君主の場合は天下を治める政策を作り出す源泉だった
からだといえるでしょう。
それでは、以上で
易占いはあなたに答えを教えてもあなたを操りません
についてのまとました。
最後まで、
読んでいただき
ありがとうございました。
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