自己プロデュース力のレビュー、令和の時代に必要な考え方とは?


こんにちは!まだまだ寒い時期が続きます、高垣です。
この記事を読んで頂きありがとうございます。

今日は

「自己プロデュース力のレビュー、令和の時代に必要な考え方とは?」

について私なりの感想を書いてみたいと思います。

自己プロデュース力のレビュー、令和の時代に必要な考え方とは?

1、忖度なしの実力を付けたい、実力でお客を笑わせたい

2、どうやったらいい結果が出せるのかを突き詰める。

3、結果を出すためなら、常識にはとらわれない。

「自己プロデュース力のレビュー、令和の時代に必要な考え方とは?

若い時には結果欲しいが、紳助さんのときってかなり自由がきいた
ようで今の時代とは大分違ったようですね。

そんな紳助さんノエピソードもこんな令和の時代でも使えることがたくさんあるみたいです。
紳助さんのこの本でグッと得るものが見つかりやすくなります。

さて、ではレビューをはじめていきましょう。

「ボケ、カスお前らが間違っている」

紳助さんは、叫ぶことになります。

紳助さんの初舞台は4月15日。

でも紳助さんはこう語ります。

でも6月いっぱいぐらいまでは稽古もしないでそういう漫才理論を
竜介に徹底的に教え込みました。

そして初舞台この時はそれまで竜介に教えていたような漫才とは全く
違うめちゃめちゃベタな漫才をしたんです。

ものすごくベタな。

自分でも恥ずかしくなるくらいのくらい。
でもまずは、これをしてみたいと。

それで舞台に立つことに慣れてお客さんがちゃんと見えるようになってから、
次の段階に行こうと。

その時僕の頭の中にあったのは9月のNHK漫才顔コンクールの事でした。

NHK漫才コンクールはまず予選がありますそこで会社の人に言って出させてください。

とお願いしたら当時のお偉いさんは、

「何を言ってるんだ」

「来年にしろ」

「お前ら舞台に出て何ヶ月も経ってないじゃないか」

でも僕は生意気だったから偉いさんに

「何を言ってるんですかボクシングも世界でボクシングの世界チャンピオンに
なるのはリングに上がる前ストリートファイトでも勝てる人間でしょ。

俺は確かにボクシングならまだリングも上がっていないかもしれない。

でも後々世界チャンピオンになるんだからこんな新人相手のストリートファイトなら
絶対勝てますよ。

そしたらそこまで言うなら勝手にしろと言うことになったんです。

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「自己プロデュース力のレビュー、コンテストは実力だけでは勝てなかった。

昔から、タフネゴシエーターだったんですね。

本選は予選を通過した8組が残るんですが紳助・竜介は残りました。
僕はそんなこと当たり前だと思いましたね

優勝しか狙ってなかったからあたり前。

先輩か何か知らんけどこんなカス相手に俺が負けるはずがない。
そして本番8組の漫才が終了して控え室に戻って待機。

紳助さんは続けて語ります。

アナウンスがあったらステージに向かいます。

三位から一位まで順に呼ばれるんだけど僕は当然最後に呼ばれると、
思っているから油断していたそうです。

そしたらいきなり名前は聞こえてきたんです要するに三位だった。
頭の中が真っ白になりましたね。

負けた悔しさと怒りで表彰式でもらった花束を投げつけました。

NHKの人たちに

「お前ら間違ってるって」

叫びながらだったそうです。

紳助さんは続けます。

その時優勝したのは大木こだまさん。

今、「大木こだま・ひびき」をやってるこだまさんね。

登時は、違うコンビでやったけどこだまさんは僕よりだいぶ先輩で、
苦節何年だったから優勝してインタビューを受けながら泣いてました。

その先輩に僕は

「ボケ、コラ」

って言ってしまった。

「何を泣いてんねんアホ。泣くなアホ」

でそれからNHKの人たちの方を向いて

「お前らこだまさんを1番やって思うんやったらそれでええ。
 これから俺が本当もう一番であることを証明したるわ」

ってすごい失礼なことをいってしまった。

と振り返っています。

数年前位かな。

ようやくこだまさんに謝りました。

「あの時は申し訳なかった。後輩としてあるまじき態度をとった」

と率直に謝ったそうです。

でもやっぱりあの人もさすがですね。

怒らなかった。

普通怒るでしょう。

先輩なんだから。

全然怒られなかった。

というか怒る以前に

「すごいなコイツ」

と思ったんですって。

「すごい自信持ってんなこいつって」

感心してしまったんだそうです。

こだまさん曰くね。

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「自己プロデュース力のレビュー、今の令和の時代なら結果さえ出せば生意気でいられる。

紳助さんは続けます。

それから大阪でわりとすぐに売れだしたんだけどそれでも新人だから
会社の方が圧倒的に対千葉は強いわけです。

僕ゴミみたいなもんですよ。

あっちからしたらね。

それなのに、僕はすぐ仕事をすっぽかした。

そんなことしたらそりゃ、会社の人が怒りますよ。

「紳助は生意気でやんちゃで不良で、だから仕事をスッポかすという話になる」

確かに僕はそんなキャラで思い出してたけど実は仕事をすっぽかすのには
理由があったんです。

もちろん自分を完ぺきにコントロール出来ていたわけではないだろうけど、
考えがあったんだと驚きましたね。

それは

「勝てない現場」

には行かないということ。

現場で行ってもいい漫才ができない。

現場に行っていい漫才が出来るような体調じゃない、いいネタができていない。
または自分たちが受ける客層じゃない。

そういう現場にいって他のコンビに負けるぐらいだったら行かない方がマシ。
もし勝ったか負けたかわからない。

引き分けだったら行かないべきだとめちゃめちゃ怒られました。
でも

「別に怒ったらいい」

と思ってましたね。

もちろんそんな風にやっているからこそ結果を出さなければならない時もあります。

当時も今みたいに若手だけが出るイベントっていうのがあって1ヶ月1回位うめだ花月で、
土曜日の夜にやっていたんです。

そのイベントはチケットをタレント自身が手売りしなくちゃいけなくて、席が全部で800かな。

そのうち50枚とか80枚とかよく売れるやつほど出してもらえた。

でも僕は全然売れない。

支配人に

「いや俺京都出身で大阪に知り合いが1人も言ってませんから」

とか言ってていたけどそれは嘘。

だって竜介が大阪なのにあいつも全然売れなかったから。

実は竜介は一生懸命売ろうとしてたから

僕が

「アホ、アホ、売るな。そんなもんしょーもない」

と言って止めていた。

最初から売る気がなかったんです。

それなのに僕たちはイベントに出られた。

なぜか?

それは1番面白かったから。

支配人には

「チケットが売れないけどもう絶対俺たちが1番面白いですから出させて下さい」

と言っていた。

それは元は努力もしましたよ。

いつも「なんば花月」、「うめだ花月」に出番もないのに注文聴きみたいに行って、

「明日出番をください」

と言ったら

「あかん、明日もう12時から出演者いっぱいやねん」

と断られる。

出演者はずらっとベテランばかり。

そこに、マネジャーに

「11時45分に幕開けましょう。どっちみち、その時間なら客おるやないですか。
お願いします。1回でいいから」

って食い下がって。

なんとそして何とか出番をもらったらそこで、全力出してして笑わせるんです。

そうしているうちに信用もついて、若手のイベントのならが必ず出してもらえるようになりました。

チケット売らなくてもね。

支配人のところに行って

「ほら1番面白かったでしょ」

って。

紳助さんは軽やかに語りを続けます。

最後に

そしてそこで同期の奴らに頭下げ倒してチケットを売って集めた客を僕たちが1番爆笑させる。
これってもう最高。

と紳助さんは言います。

1、忖度なしの実力を付けたい、実力でお客を笑わせたい

2、どうやったらいい結果が出せるのかを突き詰める。

3、結果を出すためなら、常識にはとらわれない。

この3つの信条を若い時期の紳助さんは貫いたみたいです。
紳助さんの昭和の時代にも相当怒られたらしいですけど。

それでは、いかがでしたか?
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にぜひご参考にしてみて下さい 。

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