こんにちは!高垣です。
この記事を読んで頂きありがとうございます。
易占いの根本はたよれるものは自分なのだという覚悟です
私たちは当然のことながら弱い存在の人間です。
カスミや雲を食べて生きているわけではありません。
仙人でも神様でもないのです。
この部分は、実は占いが当たった外れたよりも、
実は大切な事だと思います。単純に卦(け)と呼ぶ
回答を読んで理解し判断するのは他人であれあなたで、
あれ人間が解釈することになるからです。
ですから、欲望があるのも当たり前でしょう。
日常の生活は一条一応常識と理性でバランスを
とって暮らしています。
心の中では絶えず夢を持ちそれからいつそれを現実の、
幸福となって訪れてくるかということを知りたいのです。
逆に言うなら自分は絶対不幸になりたくないのではない
のでしょうか?
絶対に損に押したくない精神面でも物質面でも人一倍得を、
したいと思う人間ほど自分の将来が知りたいものです。
例えば、あなたが何か新しい事業なり行動なりを起こすとき、
一番大切なものは頼朝だったりいい先輩なり、現代感覚を、
身につけた人の助言でしょう。しかしそういう助言者は、
求めても得られないことがあります。
その場合、あなたはなぜあなた自身の心の中に眠っている、
予知本能を呼び起こし正しい理性によって自分で自分の、
将来を読み取ろうとされるのが良いのではないでしょうか?
この世の中で最後まで頼れるものは自分一人しかいないのです。
近頃よく聞かれるのが
「私はよくせっかく高いお金を出して○○先生に占ってもらったのに、
ちっとも当たりません。かえって運が悪くなりましたというような
話を聞くことがあります」
私がよく聞く言葉です。私が感じるのは、
「そういう時にはあなたは色々な事柄を真面目に、
考えられる方でしょう?それなのに何故、もっと
自分を信頼なさらないのですか?少なくとも
自分のことだけでも見る目を養わないのですか?」
そして、こういうふうにお尋ねするのです。
確かに占いの専門の占い師の中にはどうかと思われる
人もいるようです。
岡本太郎氏のお話をどこかで読みました
どういうお話かといえばパリではベレー帽をかぶって、
ボヘミアンネクタイをしている画家はたいてい絵が
うまくないそうです。
つまり、いかにも絵描きという人間はそれほどの物でない
ケースが多いと。それと同様、髭を伸ばしたり髪を長く
伸ばしたり紋付を着ていたりしているからといって
占いが上手いとは限らないのも同様のようです。
東西の別なく外見で人を威圧しようとする人はとかく、
内面が空虚になりがちなものなのです。もちろん
専門家の中には名人上手と言われる人もたくさん
おられます。
しかし、そういう名人を探し出しこともなかなか
大変なことです。それよりもあなた自身が冷静に、
自分のことを占ったらどうでしょうか?
人生のエラーを少なくする方法が占いという
技術なのだと私は考えています。
「言葉は裏に数字で表に現れていない心を読み取る」
占いとはこの言葉から出た言葉だといわれています。
占いとは一口に言えば、未来を知る技術です
昔から、
「一寸は先は闇」
ということわざがありますが一時間先、一日先、一月先、
一年先の事は普通の方法ではわからないのは当たり前です。
もちろん普通の生活を続けている限り近い将来の事はある
程度常識的に理解できます。
しかし人間の一生にはそのような常識や理屈だけでは、
決めきれないような微妙な時があります。例えばあなたは、
ご自身の過去を振り返って見ていただいて下さい。
今までどんな瞬間にも、どのような行動をしてよいか一度も
迷いの中になかったと言い切れるでしょうか?そういうことを、
言い切れるのは聖人に近いほどの英雄かそれともよほど能天気
人間ではないでしょうか。
それでは、以上で
易占いは、自分自身でできる占い
についてのまとました。
最後まで、
読んでいただき
ありがとうございました。
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