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仕事を通して、自分自身について気づき始めた
私は以前、身体障害者枠で銀行に勤めていたことがあります。
銀行の内勤という仕事は、率直に言えば私には合っていませんでした。それでも生きていくためには仕事をしなければなりません。自分に向いているかどうかとは別に、毎日職場へ行き、そこで8時間を過ごしていました。
職場には、私をかばってくれていた女性の上司がいました。
周囲の人たちの中には、私の仕事ぶりと給料を比べて、よく思っていない人もいました。私自身も、自分が周囲と同じように仕事をこなせているとは思っていませんでした。
そんな中で、その上司は私に常識的に接してくれる人でした。
だから私は、その人を信頼していたのだと思います。
ところが働いているうちに、身体の問題だけでは説明できない、私自身の特性に私自身が気づき始めました。
私は自分のことなのだから、最初から何もかも分かっていたわけではありません。
むしろ仕事をして、人とぶつかり、自分だけ何かが違うと感じる中で、少しずつ自分自身について知っていったのです。
一歩、一歩、自分のことを知っていったのです。
「嘘をついて潜り込んだ」と見られたショック
その頃、その女性上司から言われた言葉があります。
「面接のとき、そのことを銀行に言わなかったの?」
そして、
「嘘をついて潜り込んだの?」
という趣旨のことを言われました。
私はショックを受けました。
私にとって嘘をつくことは、単なる倫理の問題だけではありません。何か物事を進めようとするときに、嘘を使うことは一番の悪手、下手な手だと考えていました。
嘘を一つ入れれば、その後もその嘘との整合性を取り続けなければならなくなる。だから、物事を長く進めようとするなら、嘘を使わない方がいい。
私はそういう考え方をしていました。
だから「嘘をついて潜り込んだ」と言われたとき、私には単に申告の有無を尋ねられたようには感じられませんでした。
自分が詐欺師のように見られた。
それがショックだったのだと思います。
しかも当時の私は、自分自身についてようやく気づき始め、葛藤している最中でした。
自分でも分かっていなかったことを、最初から知っていて意図的に隠していたことにされた。
それが私にはつらかったのです。
つらいということを自覚できないくらいでした。
外から見れば、疑われても不思議ではなかった
ただ、長い時間が経った今なら、当時の上司から私がどう見えていたのかも少し分かります。
私は銀行にいる間、元気がありませんでした。
ところが仕事が終わると、帰り道にある歓楽街へ毎日行っていました。
職場では元気がない。仕事もうまくできない。ところが定時になると外へ出て、歓楽街へ向かう。
その部分だけを見た人が、
「仕事のときだけ具合が悪いのではないか」
と思ったとしても、今の私は不思議ではないと思います。
そういう色眼鏡を一度かければ、私の行動はいくらでも疑わしく見えたでしょう。
けれど、私の中から見えていた風景は違いました。
銀行の内勤は私には不得意な仕事でした。居心地がいいとは言えない職場で緊張しながら、つらい8時間を過ごす。
定時になると帰宅する。
私はそこでようやく、その日の緊張から解放されていました。
だから帰り道に歓楽街へ寄ったのです。
遊びたかったわけではありません。
たくさん酒を飲みたかったわけでもありません。
本当に一杯でよかったのです。
同じ行動でも、本人の中では別の意味だった
考えてみれば、アルコールを飲むだけならコンビニで缶チューハイを買ってもよかったのかもしれません。
女性と話したいわけでもありませんでした。
それでも私は歓楽街へ行きました。
とにかくスカッとしたかった。
一日中続いていた緊張をほどきたかった。
仕事をしている自分から、普段の自分へ戻りたかったのだと思います。
今振り返れば、あれは「遊びたい」というより、私の肉体が求めていた行動だったのではないかと思っています。
職場から見える私は、
「仕事中は元気がないのに、終われば歓楽街へ行ける人」
だったでしょう。
しかし私の側から見ると、
「合わない仕事で一日消耗して、家に帰る前に身体を元の状態へ戻そうとしている人」
でした。
見えている行動は同じです。
私が歓楽街へ行ったことも事実です。
職場で元気がなかったことも事実です。
どちらかが嘘だったわけではありません。
ただ、その二つの事実の間に何があったのかは、外から私を見ているだけでは分からなかったのだと思います。
当人が自分を探しているときに、自分の不得意な作業を、自分より偉い人ばかりの中で8時間するのは大変緊張しました。
人には、その人にしか分からない一日がある
どんな人でも他人の行動を見ることはできます。
しかし、その人がなぜその行動を必要としているのかまでは、簡単には分かりません。
これは障害のある人だけの話でもないと思います。
仕事が終わると一人になりたい人もいるでしょう。誰かと話さなければ一日を終えられない人もいるかもしれない。家へ真っすぐ帰る人もいれば、どこかに寄ってからでなければ日常へ戻れない人もいる。
外から見れば、同じ行動に簡単な名前を付けることができます。
遊んでいる。怠けている。逃げている。
けれど、その人の中では別の意味を持っていることがあります。
だからといって、私は当時の上司を今になって一方的に責めたいわけではありません。
上司には上司から見えた私がいた。
そして私には、私にしか分からなかった一日がありました。
もし今、あの上司に説明できるなら、私はこう言うと思います。
銀行の内勤という仕事は、私には合っていませんでした。それでも生きるために働いていました。体調を崩しながら職場へ行き、つらい8時間を過ごし、帰宅する前に緊張をほどいて身体を戻す。
歓楽街へ寄ることは、そのための私のルーティーンだったのです。
サボりたかったわけでも、遊びたかったわけでもありません。
ただ、あなたたちの日々とは少し違っていたのかもしれません。
