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「できない」と言われるところから始まった
私はこれまで、いろいろなことを「できない」「できない」と言われてきたような気がします。
旅行一つとっても、一人で旅行なんてできるわけがない。外国へ一人で行けるはずがない。ドイツへ一人で行くのは危険だ。そんなことを言われた記憶があります。
もちろん、心配する側にも理由はあったのでしょう。実際に一人で外国へ行けば、予想していなかった問題は起こります。
しかし、「危険がある」ということと、「できない」ということは同じなのでしょうか?
さらに私が受け入れられなかったのは、周囲の人が「できないのだから、私たちに任せればいい」というところまで話が進んでしまうことでした。
私の人生は私のものです。
自分で選んで失敗することもあるでしょう。その結果も当然、私は引き受けなければなりません。それでも、自分の人生そのものを他人に任せることは、私にはどうしても受け入れられませんでした。
だから私は、「できるか、できないか」を最初に決めるのではなく、まず、
「では、どうやったらできるのか」
と考えるようになりました。
全部できなくても、目的地には着ける
私が一人でドイツへ行くといっても、私はドイツ語を自由に話せるわけではありません。
それでも、「おはよう」「ありがとう」といったよく使う言葉を使い、必要なら英語も使います。それでも足りなければ、身振りでも伝えようとします。
何も100%正確なコミュニケーションができなくても、こちらが伝えようとすれば、何とか伝わることがあります。
実際に私は、言葉の通じないドイツに、一人で空港を通り、ホテルまで行き、鉄道に乗り、コンサート会場まで行きました。
数百メートル先にホテルがありましたが、あまりに土地勘がなさすぎて、何度も何度も迷いました。ホテルにたどり着くまでに、同じ道を行ったり来たりして、簡単ではありませんでした。
フランクフルトからバーデン=バーデンという温泉場に移動したときも、予定された列車にただ乗っていれば終わり、というわけではありませんでした。
列車を待つ。予定が変わる。ホームが変われば移動する。そして別の列車に乗る。
その場では一つずつ対応するしかありません。
私はドイツの鉄道を完全に理解していたわけでも、起こり得る問題への答えを全部知っていたわけでもありません。
それでも、一つずつ処理していけば、何とか目的地まで行くことができました。
ここで私が感じたのは、「できる」とは、必要な能力を最初から全部持っていることではないのかもしれない、ということです。
分からないことが出てきたら、そのとき調べ、考える。困ったら方法を探す。それを繰り返しながら目的地へたどり着くことも、「できる」の一つなのだと思います。
やってみなければ、自分の境界線は分からない
では、どこまで自分でやり、どこから人に助けを求めるべきなのでしょうか。
私の場合、その境界線は、まずやってみることからしか生まれないと思っています。
まず、実際にやってみる。
そうすると、結果として失敗のフィードバックが返ってくることも多い。
でも、それを材料にして考えていく。
やってみれば、「これは自分でできる」「ここは工夫すればできる」「ここからは人に助けてもらった方がいい」ということが少しずつ分かります。
もちろん、私はたくさん失敗をしています。
海外へ行ったとき、日本で飲んでいた薬を持っていくのを忘れたことがありました。空港までたどり着くことで頭がいっぱいになり、大切なものが抜けてしまったのです。
様々な保険がかけてありましたが、薬を飲んでいない状態で事故などが起こった場合、保障の対象外になる可能性もありました。
私にとっては、ライフラインの一つが切れたような状態でした。
しかし、私はその時点ですべてを投げ出したわけではありません。
条件が変わったのなら、行動の方を変えなければなりません。
無理をするのではなく、休息を多く取るようにして、旅行そのものを安全側へシフトしました。持病が出ないようにと心がけました。
何かを一人でやるということは、何が起きても一人で押し通すことではありません。
やってみる。問題が起きる。条件が変われば計画を変える。そして自分だけでは難しいところでは、人の助けを求める。
その判断まで含めて、自分でやるということなのだと思います。
何でも自分でやる必要はない
一方で、私は何でも自分でやることが良いとも思っていません。
旅行資金が十分にあり、旅行会社に任せられる環境があるなら、面倒なことは任せてしまえばいいと思います。
飛行機も快適な席を取り、移動や宿泊の手配もしてもらえるなら、その方が楽です。
楽をすること自体は悪いことではありません。
問題は、手段を任せることと、自分が何をしたいのかまで任せることは違う、ということです。
たとえばロンドンへ行き、そこからパリへ行く。そして最後にバーデン=バーデンへ向かう。その途中で、自分が見たい博物館や美術館へ寄る。
文章にすれば数行で終わる旅程です。
しかし、それを実際の旅行にするには、交通や宿泊、時間を一つずつつながなければなりません。
旅行会社にすべてを任せれば楽になります。しかし、旅行会社が組みやすい旅行と、私が本当にしたい旅行が同じとは限りません。
私がしたい旅は、私にしか作れません。
だから私は、無駄なことまで全部自分で抱える必要はないと思っています。人に任せられるものは任せてもいい。
それでも、「自分は何をしたいのか」という目的だけは、自分で決める必要があります。
目的を決めたら、「どうやるか」を考える
「できるか、できないか」という問いから始めると、できない理由はいくらでも見つかります。
言葉が分からない。土地勘がない。経験がない。一人では危険かもしれない。
しかし、自分が本当にやりたいことが分かっているなら、問いを変えることができます。
どうすればできるのか。
言葉が足りないなら、別の方法で伝えられないか。分からない場所なら事前に調べられないか。自分だけでは難しい部分なら、そこだけ人の力を借りられないか。
方法はいくつもあります。大切なのは、それを見つける目が育っているかどうかです。
必要なのは、何でも一人でできる人間になることではありません。
自分の目的を自分で決め、その目的を実現するために、自分でできることと、人に任せることを分けて選ぶことです。
そして実際にやってみなければ、自分がどこまでできるのかも分かりません。
できなかったところがあれば、そこで初めて次の方法を考えればいい。
まずはやってみなければ、何ができないのかすらも分かりません。
私は、「できない」という言葉で最初から可能性を閉じるより、「では、どうやるか」と考える方を選びたいと思っています。
まとめ|自立とは、自分の目的を自分で選ぶこと
何でも自分一人でやることが、自立なのではないと思います。
面倒なことは人に任せてもいい。分からないことは聞けばいい。自分では難しいところでは助けてもらえばいい。
人に助けられたら、人を助けることも忘れずにいることが、人の助けを得る上では大切です。
それは何か大きなことではなくてもいい。
良い言葉をかける。それでも、ときには人の助けになることがあります。
そうやって、人の助けを求めながら、自分のやりたいことをやる。
しかし、自分が本当に何をしたいのかまで、他人に決めてもらう必要はありません。
まず自分の目的を決める。
そして「できるか、できないか」と判定する前に、「どうすれば実現できるのか」と考えてみる。
やってみて初めて、自分でできること、工夫すればできること、助けが必要なことが見えてきます。
自分の人生を自分で生きるということは、何でも一人でできることではなく、自分の目的を自分で選び、その実現方法を考え続けることなのかもしれません。
