こんにちは!皆さん、元気に暮らされてますか?高垣です。
この記事を読んで頂きありがとうございます。
今日は
「森喜朗会長の謝罪会見をみました、オリンピック中止と人権意識」
について私なりの感想を書いてみたいと思います。
森喜朗会長の謝罪会見をみました、感性が古い人間は受け入れられない
森元首相が謝罪会見で火に油を注ぐようなコニュニケーションを取る必要がある
ときって絶対怒ってはいけないですよね。
そんな森元首相に対するマスコミももこんな状況では大局を見ることで
グッと日本の肯定的なアピールなります。
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長は
一昨日女性軽視と取られかねない。
そう思われる思われるような発言をして昨日、謝罪会見開きました。
私はリアルタイムでその会見を見ていました。
森元首相は首相時代から発言で世間から叩かれていました。
森元首相は言葉で失敗していたのではありません。
何が森元首相の言葉での失敗をもたらしたのか?
それは前時代的な考えそのものと感じました。
つまり森本首相は「失言」などは一回もしたことは
なかったと思います。
毎回毎回きちんと森元首相は自分の考えを述べて来て世間が過激に
反応した時にそのたびごとに謝罪会見を開き謝っていました。
謝れば許される立場にいつもいたように思えました。
ただ今回は立場を負われることはなくても日本が国際的に、
女性に対する意識の低さ。
性的マイノリティーに対する意識をl世界に向けて
発信してしまいました
仕事とはいえマスコミも目の前の事柄ばかりでない世界が日本を、
どう見るかということも考えて行動して欲しいと思いました。
こんな追い込まれた状況で謝罪会見の中でどうして自分の国に
不利になるような追い込み方をするのか私には理解不能です。
あなたは、森元首相がどうとかいうより時刻の代表の意識の低さを
暴露する様な態度をどう思いますか?
森喜朗会長の謝罪会見をみました。政治家は言葉が商売道具
私は島田紳助サさんの言葉を思いだします。
「もっと必死になれ」
あなたが「心」で記憶したことをしゃべると映像が見えます。
うまい喋り手が話しているのをみんなが
「うん、うん」
って聞いてるでしょう。
あれは耳で聞いているんじゃなくて同じ映像を見てるんです。
「脳」で記憶したことをしゃべっても映像が見えてこない。
映像を見ているからこそ人は共感するんです。
。
僕はトークしていてゾーンに入る時があります。
毎回ではないよ。
本当にたまにあるんです。
これって芸人だけに言えるではなく政治家も言葉が飯の種だと
いえるのではないでしょうか?
自分で
「おっ、今すげえな俺」
と思う時があってそういう時は喋っているというよりも紙芝居みたいに
映像が見えていてそれを説明していると言う感じなんですね。
言葉をうまく使うことが仕事なんですね。
芸人も政治家もその点は共通です
今僕は週に7本ぐらいのレギュラーがあります。
そして僕の番組はフリートークが多い。
そうするといくら僕はいろんなことを、いろんなところに行っていろんな人と、
面白い話をしても
「番組でしゃべらんなきゃいけない量」と遭遇してオモロイことの
「遭遇した量」が比例しない。
森喜朗会長の謝罪会見をみました。喋言葉を繊細に使う能力
芸人の話なのでここから話を作る話になりますが政治家には嘘を
つかれては困りますね。
だから政治家でいえば言葉選びの話ということになりますね。
そんなに面白いことがあるわけではない。
そういう時は勝手にオモロイ事を作らなくてはいけない。
そういうときに
「自分は料理人だな」
と思うんです。
僕は高校の同級生とよく遊んでいるんだけど僕と同級生が一緒に
「ある出来事」
を経験して何ヶ月後かにテレビでその話その「ある出来事」を
喋ったとしましょう。
そうすると必ず言われますよ。
「原型ないやん」
って。
そりゃそうだ。
僕は「ある出来事」を料理したんだから。
例えば「ある出来事」は「キャベツ」だったとしましょう。
同級生は素人だからそれをそのまま「キャベツ」として見て、
「キャベツ」として記憶する。
でも僕は料理人だから
「うわ、これをこうしたら美味しいんちゃうか?」
「うわ、これをこうしてこうしたらもっとおいしいんちゃうか?」
そう考えます。
同級生はいう。
「原型ないやん。キャベツやってやん」
僕はいう。
「そうや。キャベツを調理したらああなるやんないけ」
だって、歩いてて道端に料理が落ちていることなんかなんてないですから。
いや年に一、二回はありますよ。そっくりそのまま話すだけで面白い話が。
でもタレントだったら、たえず素材を料理していかないといけません。
料理とはいわば「嘘」ですね。
でも、料理が上手くなると「嘘」なのに映像が見えてきます。
だから、
「お前、右手に何が見えんねん」
と質問されたら
「四十メートルぐらい向こうに海がある」
とまるで本当にあったかのように説明することだってできる。
そこまでいったら名人芸ですよ。
芸人と政治家は笑わせるとの納得させることの違いはあるものの
人の心を動かくことが仕事です。
政治家だけではなく時代の変わり目にいる人々には価値観を、
変える事が求められます。
最後に
森元首相は政治家生命は長くいろんな経験もしてきているはずです。
ただ芸人に必須の柔軟性には足りない部分があります。
令和の時代は仕事が出来るだけではなく柔軟性が必要な様です。
それでは、いかがでしたか?
森喜朗会長の謝罪会見をみました、オリンピック中止と人権意識
についてのまとました。
にぜひご参考にしてみて下さい 。