親離れの時期、女の子はいつ?時代の違い昭和の私、令和の娘の違い


こんにちは!高垣です。
この記事を読んで頂きありがとうございます。

今日は

「親離れの時期、女の子はいつ?時代の違い昭和の私、令和の娘の違い」

について女性の方とお話することがあり私なりの感想を書いてみたいと思います。

親離れの時期、女の子はいつ?時代の違い昭和の私、令和の娘無邪気だった大人の一歩手前

子供が小さいときって
無事に育ってくれればいいと思いますよね。

そんな考えもある時期になると違う思いがわきます。
グッとあなたの両親の気持ちと自身の気持ちが重なります。

それはどういう時期だと思いますか

いつか子供は親元を離れ、私は子供の手を離す時がきます。

「親離れの時期は女の子の場合、いつなのか?」

と考える機会があります。

そんな時いつもたどり着く結論めいたことがあります。

「助けることは何もない見守ることができるだけだな」

いつもそういう結論に落ち着くのです。
そのために今出来ることを考えていきたいと思っています。

私は娘たちに親の意見を押し付けるつもりはありません。
健康や自分の身体を大切にすることが一番です。

料理、家事、社会の怖さなど数えるとキリがありません。
一緒に過ごす生活の中で何気なく伝えていきたいと思います。

私は30年前高校卒業後上京した時を思い出しながら
子離れについて想いがめぐることがあります。

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親離れの時期、女の子はいつ?時代の違い昭和の私が青春時代は大人への関門

そして、私の母はどうだったかなとふいに思い出すことあります。

月日が経つのはあっという間です。
30年近く前、進学の為和歌山から東京に上京しました。

私は1月に進学が決まりました。

1つ年上の姉は1浪し、同じ年に東京の大学を
受験することになりました。

私は、姉が受験に向かう日程に合わせ上京の準備を
するために別の時期に飛行機に乗ったのです。

上京準備は母の付き添いなしで一人で行きました。

しかし、順調に準備は整い何かあまりにすんなりと行き過ぎで、
称しぬけしたことを覚えています。

姉と私は日程の関係で別々に東京に行きました。

1日目、ホテルの名前と住所を確認しながら無事にホテルに辿り着きました。

2日目、通う学校に近い不動産屋で下宿を紹介してもらいました。
まずびっくりしたのは不動産屋に行くまでに通過した新宿駅です。

その大きさと人の多さに圧倒されました。
不動産屋のスタッフと内見しに行きました。

少し学校から離れていると思いましたが、新築で学校沿線に
あるアパートに決めました。

不動産屋に戻り契約し、その日の予定は順調に終了しました。

3日目、宿泊ホテル近くの東急ハンズで生活に必要な物をそろえました。
アパートには備え付けの家具、家電もありました。

エアコン、小さなクローゼット、1つ口の電気コンロ、小さな冷蔵庫などです。
家具、家電、布団、調理器具を生活を始めるに合わせて届けてもらう手配をしました。

一人暮らしの為の物をそろえるのはとても楽しかったことを思い出します
こんなに一度に自分で買い物をするのは初めての経験でした。

自宅から送ったのは食器、洋服、身の回りの物くらいでした。

さて4日目は帰る日でした。
和歌山に帰る前、東京のメジャーな場所に行きたくて原宿に
行くことにしました。

姉は買い物などは付き合ってくれましたが、受験日以外は
ホテルで勉強です。

誰も知ってる人もいません。

聞いたことのある地名を頼りに電車に乗り行ってみました。

あまりキョロキョロすると恥ずかしいのでなるべく前を
見ながら歩きます。

ある横断歩道で向こう側から歩いてくる男の子がいました。
何となく

「見た事があるなあ」

と思っていると同級生の男の子でした。

この東京で偶然出会うなんてびっくりです。

彼も大学受験の為に東京に出てきていて、受験の休みの日でした。
お互い特にあてもなく、誰に会う予定もありませんでした。

私も少し興味のあった電化製品で有名な秋葉原に行ってみました。

ほしかったのは、今では殆ど見なくなったカセットテープ用のウォークマンです。
買うつもりはなかったのですが、タイミングよく手に入り嬉しかった。

同級生の男の子とはあまりにも偶然な出会いでしたが、
その後どこに進学したかも分かりません。

上京の準備は滞りなく終了し、和歌山に戻ったのですが・・・。


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親離れの時期、女の子はいつ?時代の違い昭和の私は日本と一緒に青春時代㋾迎え大人になった

もちろん、一人暮らしの新生活を始めて分かることや失敗もありました。

準備は完璧と思ってウキウキしながら新生活を楽しみにしていました。
いよいよ新しい春、新生活の始まりです。

準備万端とおもっていた新生活でしたが、実際に生活が始まると
いろんな失敗がありました。

まず、通学時間です。

通いだすとやはり学校とアパートの距離が遠いのです。
通学時は全ての電車が都心に向かって進むので比較的時間はかかりません。

でも帰りは途中から3方向に分かれるため接続などの待ち時間がかかります。

アパートはオートロックの新築でした。
綺麗で安全だと思い、他のアパートも見ずに決めました。

でも住み始めて気付くことが多かった。

・壁が薄い。

・1つ口の電気コンロが使いにくい。

・小さな冷蔵庫は使いにくい。

・自宅のお風呂と比べるとユニットバスは体が伸ばせない。

・家具などもモノトーンがカッコイイと思い揃えたのですが色が暗いと気分が上がらない。

今考えるとそんな生活の些細な見積もり違いを失敗と考えられる。
余裕があったということになりますかね。

学校から離れていましたが、同じ学校の同級生も住んでいました。
友達になって部屋を行き来したりして楽しかった思い出もあります。

いろんな気付きや不満は次に活かせました。

親元を離れた新生活を通して親離れと子離れを今考えることがあります。

家族から離れ一人で生活した経験は、学んだことが多く貴重な経験でした。
寂しい時間もあったけれど、自由な時間もたくさんあったからです。

やりたいこと、好きなことも出来ました。

18歳の春に一人の新生活を始めた事は、今の私のライフスタイルの
原点だったかもしれません。

両親も忙しく、一人で下宿や上京の準備をするのは
当たり前のことだと思っていました。

その当時はお金の流通は仮想通貨などはあるはずもなく
ほぼ現金の時代でした。

今から考えると18歳の子供がびっくりする位のお金を
持っていたと思います。

一人で東京に準備に行かせたことが、私に親離れをさせた事柄だった
かもしれません。

私は自分の子供たちにそんな潔い手離しが出来るかと考えます。
30年前とは考えられないほど社会は変化しました。

携帯電話もネットも普及していませんでした。
みんないい人に思っていました。

一人暮らしをしている間、幸いにも怖い目や事件に
巻き込まれることはありませんでした。

でも今はありとあらゆる社会問題や犯罪があります。

子供が一人暮らしを始める頃、完全に子供の手を離す勇気
は持てないかもしれません。

一緒にアパート探しをし、新生活の準備をしてしまうと思います。

母も私たちの事は祈るような想いでいて応援する覚悟で
送り出したのでしょう。

私は母の思いはぼんやりとしかわからないまま大金を扱うことで、
自立とはいえないまでも自立しなければという思いは抱いた記憶があります。

母の気持ちを理解する暇もなりほど好奇心にあふれていたと
自分をかばうならそういう表現になるかもしれません。

母は私の好奇心を削ぐことがないように準備をしてくれたのでしょう。
今となればわかります。

もちろん私も母と同じような心遣いはするつもりです。

しかし、私に出来ること親離れで私が娘にしてあげられるのは、
最初に書いた通り見守り応援することだけです。

最後に

私も母のように娘たちに向かい合いたいと思っています。
子供が何をするにしても最後は応援しか出来ません。

そうやって成長していく子供の姿を見守っていければと思います。
そしていつか堂々と子離れをしたいと思います。

それでは、いかがでしたか?
親離れの時期、女の子はいつ?時代の違い昭和の私令和の娘達の違い
についてのまとました。
にぜひご参考にしてみて下さい 。

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